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にょいりんかんのん

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長い思い出話
 息子が11歳になってしまった。

 身長はあと20cmに迫られ、体重はゆうに超えられた。


 そう言えば11年前も今年と同じ土曜日だった。

 あの日は午前1時頃に陣痛が始まり、病院へ向かう。

 総合病院の産婦人科であった。

 夜間緊急口から入って、広い受付ロビーを横切る。

 丑三つ時前のそこは、非常口を示す緑の明かりが灯るだけで、薄暗く不気味な静けさに包まれていた。

 後で知ったのだがこの病院があった地、戦時中は野戦病院だったとかで、現在は閉鎖・解体されているが、解体前は結構有名な心霊スポットになってたようだ。

 って事で、受付ロビーの椅子には確実に居たと思う。


 うっすら明るくなり始めた4時半ごろ、まだまだ生まれないよと言うので、一人で一旦帰る。

 一人で薄暗い受付ロビーを横切る。

 後で知ったことだがこの病院(以下省略)


 一眠りして色々準備して昼頃に病院へ行く。

 もう生まれてるだろうなーと軽い気持ちで行ったら、まだまだ陣痛中。

 陣痛は続くよどこまでも。

 程よく暑く、程よく曇った日だった。

 日は既に落ちかけている。

 丘の上にある病院で、病室は4階だか5階だか6階だかの西側だったから眺望は最高。

 しかし曇り空のため夕焼けは見えなかった。

 『もし女の子で、夕焼けが綺麗な日だったら、こんな名前にしよう。

 とか思ってた名前は、今思えばキラキラネームとまではいかないが、結構イタい名前に思える。

 良かった、男の子で。

 良かった、曇ってて。


 陣痛継続中のまま午後6時をまわり夕飯を出していただいたが、奥さんはとても食べられる状態じゃなかったので代わりにいただく。

 全く味のしない鮭のホイル焼きの味が忘れられない。

 やっとこさ産まれそうになり分娩室へ入ったのが午後10時前。

 やっと産まれるかーと、ちょっとホッとしたのは大きな間違い。

 結局そこから2時間かかり、オギャーという声が聞こえたのは午後11時58分。

 陣痛開始から23時間の長い戦いでした。


 なんやかんややって、んぢゃ帰るわと病室を出たのが午前2時の丑三つ時。

 産婦人科の病棟は入口のある病棟とは別のため、エレベータで一旦途中の階で降りて、渡り廊下を渡って別の病棟へ行き、さらにエレベーターに乗らなければならなかった。

 しかも近くに精神科もある。

 このエレベータのドアが開くと同時に、バイオハザードみたいにゾンビに襲い掛かってこられても、武器はOracle Masterの本しか持ってないなーとか思いながらエレベータを待っていると、ドアが開いたら中には徘徊中のその類の患者さんが居て失禁しそうになった。

 エレベータに仲良く乗ってる時間が、すごく長く感じた。

 渡り廊下で後ろを着いて来られた時には、本当に存在する御方なのか不安だった。

 なんとか次のエレベータまで辿り着き、連日薄暗い受付ロビーを一人横切る。

 後で知っ(以下省略)


 あの恐怖から11年、その時産まれた男の子は、父親に本気で怒られると、涙しながら屁理屈を陳べて反抗す
る立派な偏屈者に成長しましたとさ。







| にょいりん | 【子供】 | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
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